プログラマーによる、プログラマーのための雑誌

Dr. Dobb's Journal

ではここからは代表的なパソコン雑誌を中心に紹介していこうと思いますが、まず最初に紹介するのは元々雑誌を発行している会社が海外のところを中心に紹介していくとしましょう。海外で発行されている会社としては大半がアメリカとなっています。現在でもパソコン関係の会社が集中しているのはアメリカとなっているのでそれだけパソコンとしての歴史がアメリカから始まったことへと繋がるわけですが、そういった詳しい歴史に関しては今回は省かせていただきます。あくまで主役はパソコンではなく、そのパソコンを特集した雑誌を主題にしているのでご了承ください。

まず初めに紹介するのは、コンピュータープログラマーとして活動している人を中心とした雑誌でこちらこそ当時からすれば精通している人でしか雑誌の内容を理解できないようなものだった『Dr. Dobb's Journal』を紹介して行きましょう。当時としてはマイクロコンピュータのハードウェアに着目している内容ではなく、ソフトウェアに焦点を絞った内容として最初の刊行物として業界関係者の話題をさらった雑誌となっています。コンピューターが作られ始めた当時、およそ30年ほど前からこの雑誌は既にアメリカで発売されていたことになります。丁度その頃に差し掛かると、コンピューターウィルスの初期、現在でも対策が続けられているウィルスの原型とも言えるものが誕生したことと考えてみると、ウィルスを開発することになってしまった開発者、もしくは当時から情報処理の分野で活動していた学生達なども、当時はこの雑誌を呼んでプログラミング勉強を行っていたかもしれないという可能性が出てきます。根っこの部分ではこうしたところに全ての業界に繋がっていることになるという仮説も唱えることができることを考えると、もしかしたら当時で考えてみた場合にはこの雑誌はプログラマーとして活動していた人々にとっては教本とも言える存在だった、とも言えるかもしれませんね。

初期の刊行当初

では雑誌の歴史を少しさかのぼって見ることにしましょう。元々この雑誌を作ったのは非営利の小さな教育法人から始まり、そこから法人と同じ名前のついたBASICコンピューター言語をプログラムされたコンピューターゲームに関する新聞を特集していた、そんなところから始まります。当時からしてみれば風変わりな新聞であることは明白でしょうが、専門家達からすればその情報はまさに興味深い新聞だったに違いありません。当時の市民からすれば全く興味関心の低い内容ではあったものの、こうした新聞の特徴から考えてみると専門家を対象に刊行していたのかも知れません。その理由としては当時の編集者の一人には実際にコンピューターコンサルタントで、スタンフォード大学で教鞭をとっていたというプロフェッショナルな人材が編集に関わっていたそうです。当然ですね、専門的な知識を持っている人間がいないことにはこうしたマニアックな内容を作成するということはほとんど不可能だった、ということを含めるとやはり情報処理というまだ未発達だった業界を広げるために作られた広報紙、的なものだった可能性も出てきます。

その後PCC新聞の初期の季刊3号において、BASIC言語インタプリタの簡易版を設計・実装する方法について記事を掲載することになりました。この記事のことを俗に『Tiny BASIC』と呼ばれることになり、また当時のコンピューター愛好家にPCCを実装することになったら、切手を貼ってあて先の書いた封筒を送ってきたものにコピーを配布して欲しいと要請をすることになりました。この時に使われた合言葉として『爪先立ちしないで、お互いに肩に乗ろう』という、今後コンピュータ業界を発展させて意向という意味合いをにじませたものも一緒に掲載することになったのです。

すると雑誌自体は元々3号だけをコピーするはずだったものが、切手を貼り付けた封筒を送ってきた人々からその後もマイクロコンピューターの一般の定期刊行物として発行し続けてほしいという要望が殺到することになったのです。この事実から考えると、あまりにも先進過ぎる内容のために中々独学でコンピューターの使い方を制御することが出来ないという問題があったということが伺える。つまり先ほど記述した教本という役割があながち間違っていない側面が存在していた、ということになると言えるのではないでしょうか。現代でもプログラミングについては学習しようと思えば出来ることなのかもしれませんが、覚えるとなれば莫大過ぎる知識を身につけないことから始めなければならない。それは現代のみならず当時からも教育書として扱っていた、と見えると思います。

その後

雑誌の内容としては愛好者向け、つまりは専門的に学んでいる人間にしか理解することの出来ないような特殊な内容だったので主にTiny BASICインタプリタが興味の中心として特集されており、またその他のプログラミングの話題とコンシューマの強い偏見を取り入れるという、ますますコアな内容へと進化を遂げることになったのです。こうした内容もほとんどがボランティア、当時からすれば専門家からの投稿によるものだったこともあって、一般の人では理解するには難しすぎる内容へとさらに濃厚なものへとなったのです。その中にはマッキントッシュの開発リーダーとなる『ジェフ・ラスキン』氏や、マイクロコンピュータ用のディスクオペレーションシステムを開発した『ゲイリーギルドール』氏といった後に業界において著名人となる人も投稿へと参加していたのです。

雑誌自体の刊行としては2009年に休止に追い込まれてしまいましたが、それまでは世界中のアプリケーション開発者や組み込みシステムの開発者といった、業界のありとあらゆるプログラミング言語とプラットフォームについての登校が寄せられていて、刊行当初と変わらない専門的な知識を満載した内容で多くの業界人にとっては欠かすことのできないバイブルとして扱われていた、と言えるでしょう。かなりの専門職の強い雑誌となっており、休刊になってしまったことで残念に思うプログラマーの方も少なくなかったことでしょう。それだけパソコン雑誌のみならず、業界全体として考えると非常に参考書ともなるべき雑誌であったと言えると結論付けることが出来ます。