4大マイコン雑誌の頂点を極めた雑誌

I/O雑誌

先ほどまでは基本的にアメリカで刊行されている。もしくは刊行されていた雑誌が日本に流れてきたといったパソコン雑誌を紹介しましたが、純粋に日本で誕生したパソコン雑誌というものには何があるのかということを少し調べて見ましょう。日本のパソコン雑誌という歴史として遡るのはマイクロコンピューター、通称マイコンを特集した日本初めての雑誌『I/O雑誌』というものが存在していました。なんと現在でも一部のパソコンを利用しているヘビーユーザーが利用しているは発行され続けていまして、時代が辿ることで日本にも機械という技術を用いた最先端技術に触れる人が少しずつ増えていた時代、そんな人々向けのマイコン雑誌が1976年10月に誕生しました。とはいっても、この当時からしてみればマイコンというものに触れている人はよほど財力に余裕を持っている人がほとんどな時代だったことでしょう。今では一般家庭に存在しているパソコンというマシンですが、そんなパソコンの前時代を築いたマイコンを持っている一般家庭というものは本当に限られていたことでしょう。まだまだマイコンが家庭内で当然のように存在している社会、というものではなかったためにやはり当時からしてみれば持っている人へと向けた雑誌、という色が強かったと思います。持っていない人からすればマイコンについて書かれている雑誌を読んでも相当のマニアでもない限りは、読んでいるだけで飽きてしまうのではないでしょうか。知識もない状態ではマイコンというものについて精通していてもしょうがない、そんな風に考えていた人が多かったかもしれません。もちろん中にはこの時代から先んじてコンピューターという文明を取り入れている家庭もあったでしょうが、ごくわずかかもしれないということはわざわざ考えるほど難しいことでもないでしょう。そんな時代に誕生したこちらの雑誌、では少し歴史などを見ていくことにしましょう。

I/O雑誌の歴史

こちらの雑誌はCQ出版で当時編集の仕事をしていた『星正明』氏が『ホビー・エレクトロニクスの情報誌』というキャッチフレーズの元で雑誌が創刊されたところが原点となっています。出版の責任者こそこちらにと務めていた星氏でありましたがその他のメンバーとしては仲に当時大学生で、後に週刊アスキーを発行することになるアスキー出版の立ち上げをいずれする『西和彦』氏を含む4人もメンバーに加わり、こちらの雑誌は歴史を始めることになりました。それぞれがペンネームを使い分けて記事を執筆することであたかもそれなりに読者を獲得していると思わせる手法を当初は取っていました。創刊号こそ秋葉原の各店に頭を下げて何とか店頭に置かせてもらうという地道な作業を試みていましたが、創刊号だけで発行部数はなんと3000部を越えるという無名の雑誌として考えれば十分すぎるほどの売上を記録することになりました。そう考えると当時から秋葉原に行きつけの人々というのはこうしたマイコンを頻繁に扱っている人が大勢詰め掛けていたということを意味しており、逆にいえば3000分では下手をしたら足りなかったかもしれないという可能性も考えられます。その後もこちらの雑誌は当時からすれば好調すぎる売れ行きを記録したことで、星氏は出版社を退職して工学社を起業するまでに至りました。工学社が立ち上がる前までは日本マイコンコンピュータ連盟の発行となっていましたが、正式に工学社が立ち上がったことでその後の発行については工学社が受け持つことになりました。きっと売上的なものを考えたときに、会社を起業したほうがもっと利益になるという考えが出たのでしょう。それもこれも当時で考えれば、まだまだ活用方法としてはどんなことができるのかという不確定なところもあったために、貴重な情報誌として活用されていたというようなことも考えられます。当時のパソコン雑誌として考えた場合、日本ではまだまだなじみの薄かったマイコンという先進機会の使い方を記したものとしては、業界において最先端の雑誌としての地位を築くことになります。その後の刊行している長さを考えれば妥当ということでしょう。現在でもI/Oは休刊といった憂き目に会うことなく利用されていることを踏まえると、パソコン雑誌というインターネットで情報を全て入手できるような時代の中でもしっかりと読者の心を掴んだ紙面づくりがなされているということに穂からならないでしょう。雑誌のスタイルとしては最高に良い状態だと言えますね。

内容について

雑誌の内容に関してですが、こちらは発行当初はマイコンの応用としてロボットなどの目か記事を中心に構成されていましたが、後にソフトウェアに移ると工学系の内容から完全にマイコンで扱うことになる専門的な雑誌として生まれ変わることになります。専門雑誌としてはその他に現在でも刊行されている週刊アスキーを含めて4つあり、I/Oを含めて4大マイコン雑誌と呼ばれていましたが、その中でも特に読者からの投稿数が多くて月に300本はあったゲームに関する投稿の中で面白かった内容を掲載するといった誌面を中心に活動をしたことで、マイコン雑誌としては圧倒的な人気を誇るようになりました。誌面にはBASICや機械語のプログラムリストが何ページにも掲載されているといった、それこそ当時マイコンとは縁のなかったの人からすれば何の魔術書ですかそれは、というような内容が掲載されて当時のオタクたちを白熱させていました。しかも投稿している人々の中には、プログラムをリスト化したものをカセットテープで誌面販売するといったこともしており、一般の読者の中にはそうした得た印税でなんと130万円以上獲得していた人もいたというのです。恐ろしい時代ですね、この頃からお金にするだけの技術を持った人がいたというのですから凄いものですね。

こうした読者からの投稿をメインとした内容に、更に秋葉原などの日本各地のパソコンショップのガイドといった、オタクたちにとっては必要不可欠な情報などが掲載されていたところから、当時のオタク文化のバイブルというものになっていたのです。現在ではそんなあまりにもマニアックすぎる内容から逸脱するように、一般の読者層も取り入れられるような雑誌へと生まれ変わろうと努力をしています。個人的にはこういったコアな内容の雑誌は継続して独特な誌面を展開してもらいたいと思うのですが、やはり不況という荒波には抗えないということなのかもしれません。是非とも今後も雑誌展開を継続して発行し続けて欲しいですね。